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 いつでも、その先に何がある。 
 Music 東京暮らしも四年目(1992)

2026/03/31(火)
再会

一昨日になる、串焼き屋で飲っている友人に「いくかも」とLINEしてみると「おいで」 新宿で夕方から会食の予定があるので既にヨメに弁当はこしらえてあり好天、ゆっくりバスで出掛けることにした。「とり酢食べる?」と訊かれた。

カウンター手付かずの焼き餃子が二人前、ラー油を小皿に傾けながらマカロニサラダを頼んだと云う。「ハムカツも一枚残しておいたよ」だがソースが未遂してある。レモンサワー一杯のつもりであったが、バスに揺られていると会食の友人から「二十時からでは…?」との打診が入り、やはり駆けつけ三杯になってしまう。彼女が煙草に席を、忘れてきた自分は「5ミリか…」と仕方なさそうにした。

店外では灰皿を後にコンビニに行くことにした。マッチがない…いくつかあったライターに見栄を張りたくなって高価な¥170「ラバー」が渋い紺色を選び、再びグラスの元へ。吸い慣れた二本を差し出すと横に首を振って返す「そっちのほうがいいな」ライターを交換することにした。

だいぶん効いてきた頃である、とり酢がやってきた。いつものように手を付けない彼女にポテトフライを頼む。ゆっくりと、少し足早に空にして勘定、これからどうするか二人燻らせながら新宿行きを誘う。会食への同行に「offcorce yes」との返信、ヨメにはお土産にサーティワンで黙らせるしかない。何年振りかの新宿で「バスタにイケメンがいた」後に彼女はそう語った。まだ筋肉痛でいるらしい。



2026/03/25(水)


首都圏も満開か例年ヨメと近場、川沿いの桜並木を眺めに行くのだが午後から生憎雨の予報であり、他にはま寿司またはガストのパフェもと馳せてはいるらしいが、ともあれ彼女が不調ではコンビニの桜もちパフェで時間を稼ぐしかない。差し置けない自分も友人との串焼き屋でのレモンサワーを脳裏に浮かべる日々が続いている。

会社勤めをしていた頃レジャーシートを持って社員数人で出かけ、同僚が射的で店主の目を盗んでゴジラの灰皿に至近距離から執拗に発砲したものの、ただ大口を開け嘲(あざけ)るようだったあの重鎮を思い出す。自分が知っているのは回転する円棚に載る「純」や「樹氷」のミニボトル、或いは落下しやすい「ポンカン飴」の的を狙う屋台だけであったので、その光景に目が丸くなっていたのを覚えている。

上手く漕げるか何時か何処かの公園ででもゆっくり、舞い散る花筏(いかだ)のもと彼女と向き合いたいものである。そう云えば年のせいもあるかめっきり小食になり「夢の何十キロ台」と口走っていたのを聞く。子供は残酷なもので煮干しのようなその身体に「だし」というあだ名を広めることもある。自分は葱坊主のような頭に霜が降りてきた。誰もブラックジャックとは云わない、未だに志村けんである。



2026/03/14(土)
Clear skies

週始めから時折激しく咳き込んだりが続いていたがだいぶん、今はヨメが連日喉の痛みで食事がままならない、回復がなければ明けて月曜日にでも車椅子で耳鼻科デートはどうかと話し合っている。

日中、快晴で新百合ヶ丘か町田あたりへ散歩、せんべろを冷やかしてこようかと企て臥せるヨメにLINE、一蹴されたので友人と通話飲みをと近所のコンビニで9%とカルパスを手に公園のベンチで鉄棒や滑り台の若い親子連れに笑みつつしばらく傾けていた。
もう一缶?向かいはスーパーである。吸い込まれていくとホワイトデーがあったので可愛い手提げのクッキーを選ぶ。焼き芋に目移りした。昨日買った「するめいか」より「やりいか」が今日は安価で塩辛はやはりと言い訳をし激辛ホルモンとレジ、女子スタッフに「Iさん、今度お茶しようよ」と声を掛け、奥さんいるじゃないですかと振られ、帰宅することにした。

今までお返しは「フェア」にあるような量販のものは渡したことがなかったが、不機嫌そうだった彼女が「気が利くではないか」と笑みを返す。実は今朝、すっかり忘れていて女友人に「レモンサワー飲みてぇなー」などとほのめかしていたことは内緒にしておいたほうが良さそうだ。何事も天気が良いのが悪いのである。



2026/02/27(金)
マルシェ黒川コールマンは

武蔵小杉までヨメの通院に付き添い、1990年頃から地元を知るドライバーと話が弾む。18で津軽から上京して最初に世話になったのが若葉台(黒川)の独身寮、改めて記すが当時駅前は竹林の生い茂る階段を降りると、右にヤマザキパンの小売り、左にカップヌードル、缶ジュース、煙草は当時愛煙していたセブンスターが220円であったかの自動販売機、そしてうどん屋、すかいらーくがあるだけであった。寮までは近道、つきあたりの車道を越え垣根の間にある、けもの道の小川に架かる板一枚を渡り辿り着く。梨畑の蝉しぐれにクワガタやカブトムシが網戸に留まりに来る、郷里よりも懐かしいだろうところ、管理人さんの話では以前は音楽学校の寮であり近隣からドラムの音で苦情が入ったりしていたようである。ギターを抱え自分はベランダから木の幹を踏んで蝉の声を散らし、サブスクにあるアルバム「灰色の街から」の録音をしたのを覚えている。

ある日、渋谷の東急ハンズへの道すがら偶然、学生時代の女子と出会った。彼女も一人当時は路上喫煙も煩くはない、火を点けてくれ少し話し電話が開通していなかったので住所をメモし渡した。二度目に訪ねて来た時、食事を用意する彼女にその頃想いを寄せていた女子への葉書を読まれてしまったが、特段気にする様子も見受けられなかった程度の付き合いであったのを思い出す。「東京暮らしも四年目」にある三ヵ月の同棲もこの寮でのことであるが、数少ない女子との関わり合い、今は建屋自体も見当たらなくなってしまった。目印にもなるか、すかいらーくに隣接していた柿の木もである。

1999年からか駅前には上半身裸でサキソフォンを吹く男と猫のブロンズ像がベンチに置かれているそうだ。その昔夜間、京王線の橋桁の下で響くギターとハープを気にしながら鍛錬、奏でていた自分もそこにいたのであろう。いえ、服は着ていたと思います。



2026/02/21(土)
今後

二月に入ってから日々配信をこなせ不調もそれ程、日中はまた友人と串焼き屋で傾けていた。帰路は新百合ヶ丘まで出向きサーティワンを提げ徒歩を億劫にバス、岡本おさみ氏の云う少女のサラブレットの鬣(たてがみ)を眺め、近日の外出が促されていく。帰宅後、高揚著しく他愛のないことばかりであるが妻に執拗に話しかけていた。ただ関白宣言のフレーズ「お前のお陰でいい人生だったと、おれが言ったから、もう言ったから」には彼女も聞き捨てならないようであった。

新たなアルバム「Midnight News」の配信開始後、氏の手掛けた歌詞が何篇かあるのでAIにて動向を窺っていたのだが、自身の判断でとりあえず削除依頼は賢明と至った。だが本意ではない、ご容赦いただければ幸いであると思う。

鳥取の幼馴染とは昨年久しぶりに首都圏で昔話の機会が持てた。気心の知れた人間との場は貴重と、お互い相変わらずあの頃のままの付き合いでいられそうではあった。先日の積雪の動画に、日本海側こちらも夕べから三十センチ、津軽の雪景色のようだと後日LINEで交わしている。

時季と、懐かしんで「出発の歌」「巣立ちの歌」をyoutubeから。あれから自分は「グラデュエイト」である。今日は妻は酔い覚ましのビールに何も云わない。「まだやり残したことあるよね?」と云うだけである。

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